大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和50年(オ)859号 判決

上告人 平山洋美(仮名)

右法定代理人親権者母 平山美恵(仮名)

被上告人 郡みち(仮名) 外五名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小野寺照東の上告理由について

遺言者が、公正証書によつて遺言をするにあたり、公証人の質問に対し言語をもつて陳述することなく単に肯定又は否定の挙動を示したにすぎないときには、民法九六九条二号にいう口授があつたものとはいえず、このことは遺言事項が子の認知に関するものであつても異なるものではないと解すべきである。所論はは、独自の見解に立つて原判決を非難するものにすぎない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、人九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田豊 裁判官 岡原昌男 大塚喜一郎 本林譲)

参考 仙台高 昭四九(ネ)二二四号 昭五〇・六・一一判決

主文

原判決を取り消す。

亡郡直吉(本籍青森市大字○○字△△○○番地)の昭和四六年六月一八日遺言執行者届出による被控訴人に対する認知を無効とする。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人らは主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係は、左記のほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

第一 控訴人らの主張

本件公正証書は遺言者の面前で遺言者の口述を筆記したものでなく、証人川島英一、同村井隆男が公証人役場に行き、そこで作成されたものである。

仮に公証人が病院へ行つたとしても、遺言者は公証人の問に単にこつくりしただけであるというのであるから、本件公正証書は遺言者の口述を筆記したとはいえない。

故に、本件公正証書は民法第九六九条の要件に違反し無効であるから、これに基づく認知の届出も無効である。

第二 証拠関係

控訴人らは○○県立中央病院に対する調査嘱託の結果を援用した。

理由

方式及び趣旨により成立を認めうる甲第一号証の一、二、乙第一号証によれば、請求原因一、二の事実が認められる。

次に、亡郡直吉の被控訴人に対する遺言公正証書(乙第一号証)による認知が無効であるか否かについて判断するに、前掲甲第一号証の一、二、乙第一号証、その方式及び趣旨により成立を認めうる甲第二号証、第三号証の一、二、第四号証、原審証人塚本信広、島田雄三(第一ないし第三回)、郡勝夫、村井隆男、郡ツネ、川島英一の各証言、原審における被控訴人の法定代理人平山美恵尋問の結果によると、次の事実が認められる。

1 被控訴人の母平山美恵は、昭和三八年頃直吉と知り合い、翌年頃同人と肉体関係をもつようになり、昭和四〇年一月頃直吉所有のアパートの一室に入居し、同人との肉体関係を続けていたが、昭和四二年六月二日被控訴人を出産した。

2 直吉は、昭和四六年四月頃、肝臓障害が悪化し、○○市内の××医院に通院を始め、同年六月九日同医院に入院したが、同年六月一五日○○県立中央病院に転院した。同日午後の医師の診断では直吉は肝性昏睡の前駆期にあるものと認められた。肝性昏睡は、前駆期、切迫昏睡、肝性昏睡と進行するものであるが、翌一六日午前中は前駆期から切迫昏睡へと移行する段階にあつた。同日午後四時頃、直吉は腹水がたまつたため腹腔穿刺の手当を受け、続いて酸素吸入の処置を受けた。同日夕方は直吉は切迫昏睡の状態にあり、意識は傾眠状態に陥つており、判断力はひどく低下していた。意識は少し良くなつたり、また悪くなつたりという波があるけれども、次第に悪化していつた。この状態においては、人が何か声をかけた場合、直吉はこれに対し返事をするけれども、その返事は、他人の言うことを理解した上でするものかどうか甚だ疑わしく、到底信用できないものである。一六日午後八時ないし九時頃は直吉は右のような状態にあつた。そして、同人は一七日朝には肝性昏睡の状態に陥り、同日午後三時頃死亡した。

3 六月一五日正午すぎ、直吉はその弟郡勝夫に対し、被控訴人を認知する遺言をしたいから手配を頼む、と依頼した。勝夫は翌一六日川島英一に対し遺言の件を公証人に頼むこと及び証人になることを依頼し、また、村井隆男に対し証人になることを依頼した。川島英一は同日公証人島田雄三に対し遺言公正証書の作成方を依頼した。右公証人は、病院へ行くに先だち、事務所において、川島英一の話に基つき公正証書用紙に遺言の内容(直吉が平山美恵が生んだ被控訴人を認知する旨)を記載し、かつ、公証人の押印をすませた上、同日午後八時半頃川島英一と共に県立中央病院の直吉の病院に着いた。村井隆男はすでにそこに来ていた。右公証人は、川島英一、村井隆男と共に病室に入り、付添人に室外に出てもらつた上、病床の直吉に対し、「子供のことで遺言するのは本当か。」と聞いたところ、直吉はうなずいた。また、公証人が「洋美を子として認めるという公正証書を作つてよいか。」と聞いたところ、直吉はうなずいた。また、公証人が「洋美はあなたの子にまちがいないか。」と聞いたところ、直吉は同じくうなずいた。しかし、直吉は公証人のすべての問に対し単にうなずいただけであつて、一言も言葉をいわなかった。公証人は遺言をまちがいないと判断し、病室を出たのち、川島英一及び村井隆男に証人として署名押印してもらい、直吉は署名することができないので公証人がその旨を記載し、かくして本件遺言公正証書を完成した。

以上のように認められる。

ところで、民法第九六九条は公正証書によつて遺言する場合の方式を規定し、「遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること。」を要件の一つとしている。法は、ことの重要性にかんがみ、公正証書による遺言について厳格に方式を定めているものであつて、この方式の厳格性は守られなければならない。右の「口授すること」の要件は、判例によつて少しはゆるめられてはいるけれども、少くとも遺言の要旨を把握できる程度の遺言者の口述がなければならないと解される。公証人の質問に対し、たとえその質問の内容が遺言者の真意に合致したものであつて、遺言者が何ら言葉を発することなく単にうなずいたにすぎないときは、うなずくとは肯定の返事と同じ意味を持つものであるけれども何ら遺言者の口述が存しないのであつて、前記「口授すること」の要件をみたしていないこととなる。

本件の場合は、前記認定のように、遺言者直吉は公証人の質問に対し単にうなずいただけで一言も口述していないから、右の「口授すること」の要件が欠けていることになる。

直吉は、公証人が病室にきた頃、前記認定のように、切迫昏睡の状態にあつて判断力はひどく低下しており、その応答-言葉による場合でも、うなずくという動作による場合でも-は信用をおけない状態であつた。したがつて、公証人の質問に対し、直吉はうなずくという肯定の趣旨の反応を示したけれども、質問の趣旨を理解した上でうなずいたのかどうか甚だ疑わしいといわねばならない。もつとも、仮に質問の趣旨を理解した上でうなずいたとしても、うなずいただけで一言もいわなかつたのであるから、遺言者の口述がないことに変りはない。

以上のように、直吉は遺言の趣旨を公証人に口授していないから、本件公正証書による遺言は無効であり、したがつて、遺言によつて認知した旨の遺言執行者による本件認知の届出も無効である。

よつて、控訴人らの本訴請求は理由があるので、これを棄却した原判決を取り消して本訴請求を認容することとし、民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井義彦 裁判官 石川良雄 守屋克彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例